10cc / I’m not in Love | 10CC アイム・ノット・イン・ラブ の秘密


「アイム・ノット・イン・ラブ」の秘密

洪水の様に分厚いコーラス・サウンドはいかにして生まれたのか?

言わずとしれた10ccの1975年の大ヒット曲「I’m Not In Love」 当初はボサノババージョンだったとのことだが、ロル・クレームとケヴィン・ゴッドリー(ゴドレイ)のアイデアであの「コーラスの洪水」サウンドアレンジとなった。冒頭のキックは Mini Moog(アナログモノシンセ) によるもの。

さてあの分厚いコーラスだが、単にオーバー・ダビングを繰り返しただけではあの質感は得られない。ロル・クレームとケヴィン・ゴッドリーが「マルチトラック・ヴォイス」と名づけたこのサウンドは、後にクイーンの「ボヘミアン・ラプソディー」に影響を与えたといわれている。ただしクイーンのコーラスは「マルチトラック・ヴォイス」とは方法論が異なり、以下に述べるオーソドックス(とはいってもそれなりの労力を必要とする)な手法である。

従来の多重録音によるコーラス

コーラスのオーバーダブ(多重録音)自体はマルチトラック・レコーダー(以降MTR)開発以後に生まれたものである。それまでコーラスに厚みをつけるには「人数を増やす」という人海戦術しかなかった。オーバーダブの場合は、ハーモニーの構成音の1パートにつき最低でも2~3回、またはそれ以上ダブリングして重ねていく方法である。たとえば「ド・ミ・ソ・シ」のコーラスで、各ライン毎に3回ずつダビングすると合計12トラックを必要とする計算だ。

ジャッキー・アンド・ロイ、カーペンターズ、シンガーズ・アンリミテッドなどのアルバムでは、この手法を駆使した洗練の極致ともいえるサウンドを聴くことができる。

Carpenters -We’ve Only Just Begun

山下達郎/ SO MUCH IN LOVE

この手法が生み出すコーラスサウンドの艶やかさは格別なものである。なお現代のデジタルレコーディング環境では、トラック数には実質上限がなく、また編集テクノロジーも昔とは桁違いに進歩しているため、ボーカリストの労力は昔と変わらないにしてもマスタリングに費やす時間は大幅に短縮されていると思われる。「ボヘミアン〜」の場合、トラック数が足りなくなった場合ははピンポン録音をしてやりくりしてたに違いない。

10ccのマルチトラックヴォイス

前置きが長くなったが、10ccの「マルチトラック・ヴォイス」は前述のMTRを活用してはいるが、非常に独創的なアイデアに基づいている。(当時のMTRは16トラック程度だと思う)

「マルチトラック・ヴォイス」の発案者はロル・クレームとケヴィン・ゴッドリーらしいが、後のメンバーのインタビューをまとめると若干のプロセスの違いはあるかと思うが概ね以下のような手法である(各数量はあくまで例)。

  • 1)3人のユニゾンで「アー」という音(たとえばド)をMTRにレコーディングしてダビングを繰り返す(回数は不明だが、5〜16回という説もある)。
    単音というのがミソ。仮に10回ダビングした場合はこの時点で30人分の「ド」のユニゾン・サウンドが生まれる。(トラック数が足りなければピンポン)
  • 2)別のオープンリール・レコーダー(モノラル)にこの30人分の「アー」をミックスしたものをダビング。
  • 3)この1トラックにまとまった30人分の「ド」のテープをハサミで切り、スプライシング・テープで貼り付けて輪の状態にする(ループを作る)
  • 4)上記を繰り返し、この曲のコーラスで必要な音程の数(12音程度と思われる)のループ・テープを作成する
  • 5)こうして出来上がった12音分のアナログ・テープを、一本ずつループ再生しながら別のMTRに、曲の長さ分ダビングする。(合計12トラック使用することになる)

YouTubeにメイキングがあった!

なんとも気の遠くなる作業であるが、さてここからがまたすごい。

  • 6)こうして出来上がったマルチ・テープの12トラックを、ミキサー卓に個別に立ち上げ再生する。すると、12トラックの各フェーダーで12種類の音程(・・A,A#,B,C,C#,D,D#,E,F,F#,G,G#・・)のボリュームをコントロールすることができる。仮に「ドミソ」のコーラスを再現する場合は、それぞれの音程が録音されているトラックのフェーダーを上げてやる。音程毎に30人分のコーラスであるから、「ドミソ」だけでも90人分。12個のフェーダー全部上げると、360人分のコーラスがクラスター状態で再生されることになる。
  • 7)この状態で曲に合わせて、各フェーダーを上げ下げしてハーモニーを作りながらコーラスパートを加える。流石に一人でこの作業は無理なので、実際には何人かで分担しながらやったらしい。

というわけで、イントロやエンディングで現れる洪水のようなコーラスはダイアトニックスケール(原曲のキーはAなのでラ-シ-ド#-レ-ミ-ファ#-ソ#)の7音のフェーダーを全て上げているような状態と想像される。試しにシンセでコーラスサウンドを作り、サンプラーにアサインして7音のサウンドを同時に再生してみた。確かにそんな感じに聞こえる。

これが人の声だったら艶っぽさやコクの深さは比べ物にならないだろう。なお原曲のところどころチェロっぽいサウンドが聞こえるが、これはコーラスパートのテープ回転数を落として再生したものらしい。

ビリー・ジョエルの「素顔のままで」でも同じようなサウンドを聞くことができる。

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というわけで発想はメロトロンとも言えなくはないが、メロトロンの場合は持続時間が5.5秒〜8秒と限られている為、仮に自分たちのコーラスでオリジナルのメロトロン用テープを作ったとしてもこの曲のコーラス・サウンドは再現不可能であるし、音程ごとに定位やエフェクトを加えるということが困難である。現在ではサンプラーやDAWを駆使すれば、似たようなサウンドを作り出せないこともないが、あの質感を再現するのは絶対に無理のような気がする。(冨田勲氏の「月の光」同様)

こうして生まれた名曲「アイム・ノット・イン・ラブ」だが、当時、初めて聴かされたレコード会社担当が「とんでもない曲だ!君等の条件は何でも叶えるぞ!いくらほしい?」と興奮したというもの無理もない話だ。

【補足】
※このコーラスがロル・クレームの発明したギズモ(Gizmo:ギターのブリッジ装着し、モーターで擦弦して持続音を生み出すアタッチメント)によるものという解説をどこかで見かけたが、これは単なる勘違いだと思う。

※「ギズモ」に関しては、後に10ccを脱退したロル・クレームとケヴィン・ゴドレーの「Consequences」(ギズモ・ファンタジア)でそのサウンドを堪能することができる。この作品のコーラス・パートは「マルチトラック・ヴォイス」ではなく多重録音によるもの。

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